高層ビルの夜
「緊急放送、緊急放送……
R2C及びG4F地区にA級犯罪者が潜伏した模様……」
夜空に浮かぶモニターに、緊急ニュースが流れ込んだ。けたたましく流れるサイレンとともに、それは人々に不吉ななにかを感じさせる。
アルバニス・フェランサー−−通称アニス−−は車に乗りながらそれを眺めていた。この街もだいぶ治安が悪くなったものだと思う。ま、それでもニューヨークなんかに比べるまだ少ない方だ。
「『表』の街に犯罪者が逃げ込んでくるなんて珍しいですね……」
車の助手席には16歳ぐらいの少女が座っていた。膝に置いた手の上で自分の髪をもて遊びながら呟いた。
「『裏』だけで処理が出来なくなったって事は、あたしたちみたいな職業の人間にとっては仕事が増えていいんだけどね……」
「一般の人にしてみたらたまったもんじゃありませんね」
少女の名前はマリーウェザー・アインローズ。普段はマリーと呼ばれている。マサチューセッツ工科大魔法物理学部理論魔法学科の最年少卒業生で、ぜひ大学院にという声を振り切って、アニスのいる会社に就職した。社会に出てなにか人のために役立つ仕事がしてみたかったし、何より『魔法を極めてしまった』彼女にとっては大学院は全く魅力というものを感じさせなかった。
トゥルルル……
不意に自動車電話の音が響いた。
「はい」
「……アニス?」
「レイア部長、なんですか? こんな時間に」
「緊急の仕事が入ったの。マリーもいる?」
「ええ、これから二人してのみに行こうとしてたところですから」
「ちょうど良かったわ。これからリミテッド・レギュラリーのビルまで行ってくれないかしら。コンピュータが故障したらしいの」
「それはいいですけど、確かリミテッド・レギュラリーって、G4F地区にありませんでしたっけ?」
「そうよ」
「部長。その地区にA級犯罪者が逃げ込んでるって知ってます?」
「知ってるわ。だからこそ、コンピュータが故障してたらまずいでしょう」
「そうですね。……わかりました。すぐ向かいます」
「頼むわね」
電話はそこで切れた。受話器を置いて、アニスはマリーに向かって言った。
「レイアさんから。仕事だって」
「でも……アニスさん。G4F地区って、逆方向ですよ」
「ぅ……」
アニスは突然車をターンさせた。150キロを超える速度で走っていた車が突然180度向きを変えたわけだから、ものすごい遠心力が身体にかかる。
「アニスさん……苦しいですってば……」
「気にしないっ!」
そう言ってアニスは愛車のアクセルをいっぱいに踏み入れた。
エリアソントの街はかなりの大きさがある。20世紀の日本で言えば、東京首都圏の東京・埼玉・神奈川・千葉・茨城の1都4県をすべて合わせたぐらいの大きさはある。そして、アニスたちがいた地区からG4F地区まで行くにはハイウェーをとばしても1時間はかかる距離があった。
通る車も少なくなった夜のハイウェーを、全身をメタルブラックに染められた車が疾風のごとくかけてゆく。ゆうに250キロは出ていた。エリアソントの街に張り巡らされているハイウェーにカーブが殆ど無いからこそ出来る事だ。
「アニスさぁん……こんなにスピードだして、事故ったらどうするんですぅー」
マリーが泣きそうな顔でアニスに抗議する。しかしそんなもの、アニスは聞いちゃいなかった。
「あんただって自分で運転するときは200は出してるくせに……」
「自分が運転するのと他人が運転するのに乗ってるのとじゃ全然違いますよっ!」
「……その言葉、全部返すわよ」
つい先日、マリーの運転する車に乗っていて恐い目を見たアニスだった。
ふつう1時間かかる道のりを30分弱で乗り越えて、二人の乗った車はG4F地区に入った。あちらこちらに警戒のパトカーが走っていて、物々しい雰囲気をかもし出していた。
「さすがにここからはとばせないわね」
「当たり前ですっ!」
十数分で、目的のリミテッド・レギュラリーに到着する。このビルは地上23階、地下15階の中規模ビルである。中には一般商社が数社入っていた。アニスは駐車場に車を止め、ノートパソコンを持って車から降りる。マリーもその後に続いた。
「ランナー・ハーヴ社のアルバニス・フェランサーです」
受付でそう言うと、受付嬢は「少々お待ち下さい」と言い、どこかと連絡を取った。
「6階のメインコンピュータルームへおいで下さい。当ビルの技術責任者が待機しております」
なんだ、案内はしてくれないのか。そう考えながらも、アニスは素直に従って、6階へ登った。
一機しかないエレベータを使って、6階へ上がる。
「ここかな……?」
『コンピュータルーム』と書かれた部屋が目の前にあった。こんこん、とドアをノックする。
「どなたですか?」
女性の声がした。
「ランナー・ハーヴ社から派遣されてきた、アルバニス・フェランサーです」
「……どうぞ、お入り下さい」
アニスはドアのノブを握って、開けた。部屋の中には2人の女性と、イスに縛り付けられた男がいた。
背の高い方の女性が一歩前にでて、アニスたちの方へ向かった。
「手っ取り早くお話しします。コンピュータが壊れたというのは口実です。『奴』はこの男を狙っています。
「……??」
「あの……」マリーが口を挟む。「話が見えないんですけど……」
「ああ……どうもすみません。『奴』というのはこの地区に逃げ込んだA級犯罪人のことです」
背の高い女性はマリーの目を、まっすぐと見つめた。
「『奴』は必ずこの男のところに来ます。あなた方に頼みたいのは『奴』をこの男のところに近づけないようにするか、『奴』を始末することです」
「それでしたら……警察に……」
「解りました。『奴』と言う犯罪者は始末してもよろしいのですね?」
言いかけたマリーを制して、アニスは話を進めた。
「はい。かまいません」
「アニスさん……」マリーが小声で囁きかける。「どういうことなんですか?」
「後で説明してあげるから」
軽くあしらって、アニスは視線を男の方に向けた。年の頃はおそらく20台前半の貧相な青年だ。
「この男については……お話しいただけないでしょうね……」
「申し訳ありませんが」
背の高い女性は頭を下げた。「ふう……」アニスは小さくため息を付いた。どうも、最近は本業のセキュリティ業務ではなく、この手の仕事が多い。
「わかりました……それでは、作戦でも考えましょうか」
「アニスさん! 説明してくれるっていいましたよね」
マリーの剣幕に、思わず苦笑してしまう。
「わかったって……あのね、これはレイア部長が全部悪いの」
「え……? 部長が、ですか?」
ノートパソコンからこのビルのメインコンピュータにアクセスしているアニスは、ディスプレイから目をそらさずに言った。
「そうよ。最近部長は保安課の仕事をあたしに回してくるのよ。部長が言うには『一人前の技術者になるには必要なことだ』ってことらしいけど、どう考えても面白がってやってるようにしかみえないわよね」
アニスには、報告書を読みながらほくそ笑んでいる部長の姿が見えたような気がした。
「でも、そういうことだったらやっぱり警察に……」
「そういうわけにもいかないのよ。これは私の予想なんだけど、あの男のことは表沙汰にするわけにはいかないんじゃないかな? うちの会社に回ってくる仕事はそんなのが多いからね。あなたはまだ入ってきたばっかりだからよくわからないでしょうけど」
「そうなんですか……」
ノートパソコンを抱えて、アニスは唐突に立ち上がった。
「さ、いくわよ。作戦は決まったから」
「がぁぁぁ……」大きな音を立てて、1台のトラックがリミテッド・レギュラリーの前に止まった。その中から、サングラスをかけた精悍な男がでてくる。
「フェミウル……待ってろ」
小さくつぶやくと、男は鞄からSMG(サブマシンガン)を取り出し、ビルの中に入っていった。
ビルの一階には人影がなかった。「俺が来ることは解っていたか……?」そう考えたが、だからといってどうしようもない。彼には戻ることは許されていないのだから。
エレベータの前まで走ってゆき、上へのボタンを押す。事前にこのビルの設計図は手に入れてある。彼は、おそらく目的の『もの』は15階にあるとふんでいた。
エレベータの扉が開く。と、同時に彼はSMGをそちらに向けた。だが、誰も乗っていない。一息ついて、彼は乗り込んだ。これが罠なら……考えなかったわけではないが、ある程度の罠なら乗り越えることはできる。そう思えるほど、自分の能力には自信を持っていた。
15階にたどり着く。彼は銃を構えながら慎重に進んだ。一つ一つ部屋を調べながら進んでいった。
ある一つの部屋にたどり着いたとき、彼の表情は凍り付き、そしてゆるんだ。部屋の真ん中にあるイスに縛られた男がいた。それを見たとたん、彼の頭の中にあった危機感、注意力といったものはすべて消し飛んだ。
「フェミウル!! 大丈夫か?」
そう叫んで駆け寄っていき、縄をほどこうと手を伸ばしたときだった。すっと、彼の手が男の体をすり抜ける。瞬間、彼は凍り付いた。
はめられた!? そう直感が告げた瞬間、彼の背中をあつい筋がいくつも貫いた。今にも失いそうになる意識を必死に呼び戻して、彼は振り向き、銃口をドアの方に向けた。
そこには数人の男と、黒いスーツを着た女が立っていた。その女と目があったとき、彼女の銃からのびた火線が彼の額を貫いた。
『奴』が倒れた後、警察がやってきた。警察にはここのオーナーから、『A級犯罪人がビルの中に進入してきたので射殺した』と報告した。もちろん、『奴』が狙っていた男は地下のボイラー室に閉じこめたままだ。
『奴』が男がどこにいるか知っているだろうと読んだアニスは、男をボイラー室に移し、マリーに幻影を作ってもらって『奴』を誘い込んだ。よっぽど執着しているという、オーナーたちの話だったので、彼女たちは幻影を作った部屋の隣に隠れていた。エレベータから1部屋ずつ調べてくるだろうと読んでの事だ。後は、男が部屋の中に入ったのにあわせて部屋の入り口を押さえる。それだけの作戦だった。
「結局、あの男は何だったんでしょうね」
「『奴』のこと? そんなことはどうでもいいわよ。そう割り切らなきゃ、この世界で仕事はしていけないわよ」
軽く笑ったアニスに、マリーは憮然とした声で答えた。
「わたし、保安課に入るつもりで入社したんじゃないんですけど……」
「そういえば、さっきの幻影すごかったね。さすがは、MITの魔法学部最優秀卒業生!」
「……ごまかさないでくださいよ、アニスさん」
「ま、いいじゃない。お酒のみにいこっ! ね、マリーウェザー?」
「……そうですね。そうしましょうか……」
二人は車に乗り、ビルから走り去った。登りかけた日が、彼女たちを照らしていた。
「朝になっちゃったね」
「まぁ、いいんじゃありませんか? どうせとことん飲むんでしょ、アニスさん」
「まぁね、じゃぁ『プラズマ・アクター』までいこうか」
「え……そこって……」
「さぁ、とばすわよぉっ」
「アニスさん、やめてぇっ!」
アニスはアクセルを思いっきり踏み込み、長い影を引いてハイウェーを走り去った。
END
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