Nayuki scenario other story -- Version 1
赤い夕日。全てが赤に染まった街で。いつも出会う場所にあゆは立っていた。いつもとは違った…さびしげな笑顔をたたえて。
「祐一君……」
重そうに口を開くあゆ。その瞳からは、いまにも涙がこぼれそうだった。
「どうしたんだよ? なにか、悪いことでもあったのか?」
あまりにもいつもと違う様子に、自分でも普段では考えられない気持ちで、あゆと面向かっていた。……なんだか、こんな寂しそうな顔をしているのは、あゆじゃないような気がした。
「うぅん。あのね、探しものが、見つかったの。すごく大切なものが」
それにしては……精一杯の微笑みも、何だか無理をしているように見えた。
「そうか。よかったじゃないか。ずっと探していたものが、みつかったんだろ?」
「うん……」
うつむきぎみにこたえるあゆ。顔をあげると、俺の瞳を正面から見つめて、言った。
「だからね、ボク、もうこのあたりにはあまり、こなくなっちゃうと思うんだ」
せなかの羽が、力なくぱたぱたと揺れていた。
「もうね、祐一君ともあんまり会えなくなっちゃう……」
「そうか……」
あゆの笑顔にかげりがある理由が、なんとなく、わかったような気になった。
「そうか……もうそんなには会えなくなるのか」
「うん。もう、この街にはあんまりこなくなっちゃうと思う。もう、この街にくる理由が、なくなっちゃったから…」
「あゆ……元気でな」
俺には、はげます事くらいしかできる事はなかった。最後に、笑顔で見送ってやろうと。あゆの頭にてをおいて、くりくりとなでまわす。
「もう会えないわけでもないんだろ? また、この街にたいやきでも食べにこいよ」
「うん。そうだね。きっと……」
笑顔を作った瞳には涙がたたえられていた。袖でごしごしとそれをぬぐうと、あゆは俺から少し離れた。
振り返って、小さな手をぶんぶんと振る。
「きっと、また会おうね。祐一君」
商店街でぶつかってであった俺たち二人が、またどこかで会わないとは、思えなかった。それぐらいの縁は、あってもいいと思った。
「おう。今度会う時は、正面衝突は、なしだ」
だから、こう言ってやった。あゆは今まででとびっきりの笑顔を見せると、
「うん。じゃぁね、祐一君」
大きく手を振ると、赤い夕日に照らされた商店街に、解け込むように消えていった。
たいやきでも買って、持たしてやればよかったかな。あゆの姿が完全に見えなくなってから、俺も家路についた。
夕方。居間にある電話が、けたたましい音を鳴らした。この電話の音を、名雪のめざましに使えないかしらね。そんなことを頭の片隅で考えながら、夕飯の炒めものの火を止めて、秋子は電話口に出た。
「はい、水瀬です」
電話の向こうからは、単調な口調の男の声が聞こえてくる。
「……ええ、はい。……そうですか……いえ、わざわざご連絡くださってありがとうございます。ご両親は……?
……はい、そうですか……
……いえ、あの子ももう覚えてはいないみたいですけれども。それはあの子にまかせますわ。
はい。わざわざありがとうございました」
電話のむこうがわに頭を下げて、電話を切った。
電話を置くと、キッチンには戻らずに、本棚に立てかけてあったアルバムに手を伸ばす。
「7年……」
つぶやきながら、一枚のアルバムに手を伸ばした。開いたページに見えるのは、食堂で笑顔を見せる、3人の姿。
名雪と、祐一と……あゆ。
たまたま、あゆを朝食に誘った時に、秋子がとったスナップだった。
「もう、7年になるのね」
一度頭を振ってからアルバムを棚に戻し、夕食の支度に再びとりかかった。
夕食時。俺と、名雪と、秋子さんがテーブルを囲んでいる。いつだかは真琴もふくめて4人いたが――その真琴も、もういない。
「そういえば……」
商店街であゆが言っていた事を、二人にも伝えておこうと思った。二人ともあゆと面識があったはずだし。一緒に朝食を食べたりもしたしな。
「今日商店街で、あゆにあったよ」
「あゆちゃん?」
名雪が箸を止めて、俺の顔を見る。飯どきにあゆの話をする事なんてなかったから、不思議に思っているんだろう。
「なんでも――
探しものが見つかったとか。それで、もうしばらく、この街にはこないって言うんだ」
「へぇ――」
箸をくわえたまま、名雪は首を傾げた。
「あゆちゃん、近くに住んでたんじゃなかったんだ?」
「みたいだな」
確かに、そうだ。あゆは学校に行くといって、商店街を通っていたはず。……転校でもしたのか?
その話題は、そこで立ち消えになった。
夕食をほとんど食べ終わったころ、
「昔ね……」
ずっと黙って夕食を口に運んでいた秋子さんが、急にしゃべり始めた。
「小さな男の子と、女の子がいたの。二人は偶然であって、そして、一緒に遊ぶようになったの。
きっと、すごく楽しかったのね。毎日のように遊んでいて――
そして冬の、雪がすごく積もったある日、女の子が、遊んでいる最中に怪我をしてしまったの。いつもしている遊びだから。きっと、ちょっと注意力が落ちていたのね」
名雪も、俺も。箸を止めて、秋子さんの話を聞いていた。頭のどこかで、ずきっと痛みが走った。
「男の子は願ったわ。”この子を助けて”って。でも、男の子には何もできなかったの。ただ、力をなくしていく女の子を見ているだけしか、できなかったの。
それからね。男の子は、冬を嫌いになってしまったの。雪も。そして、二人が遊んでいた、その街も」
ひときわ大きく、頭痛がした気がした。
がんがんと、痛みが頭の奥から外に吹き出そうとしてくる。
「……それから?」
「それだけよ。本当に、それだけ」
名雪の問いに、目をつむり、首をふった。
「私ったら、何を言っているのかしらね。……お茶でも、入れましょうか」
秋子さんは、食べ終わった自分の食器をまとめて、台所に入っていった。
頭痛がまた大きくなる。
「どうしたの? 祐一?」
様子のおかしい俺のほうを見て、名雪が心配そうに声を掛ける。
「いや……なんでもない。ちょっと、部屋行ってくるわ」
「うん。……しっかり寝なきゃだめだよ?」
いすの背を杖のようにして立ちあがり、階段の手すりにしがみつくようにして自分の部屋に入った。
ばたん、とベットに横になる。……なんだ? この頭痛は…
気を失うようにして、俺は眠りに落ちた。
――大雪の次の日。
いつもの遊び場に、ぼくはいた。
「あゆちゃーん?」
姿が見えない。
「ゆーいちくんっ」
声は上のほうからした。見上げるとそこには。
「ここだよー」
あゆちゃんがいた。木の枝に座って、足をぶらぶらさせている。
「いながめだよー。ゆーいちくんも、のぼってきなよー」
二人も、のぼれるかな?
そう考えて、木の真下に行ったとき。
「――あれ?」
声がした。重い音。そして、赤い色の印象だけが、ぼくの頭にのこった――
――晴れの日。いつもの遊び場で。
「たからものを、埋めるの?」
「うんっ」
あゆちゃんの声にぼくは考えた。
「何にしようかなぁ……」
「わたしはね。これだよっ」
そういって、手のひらに乗せたのは、小さな天使のぬいぐるみだった。ぼくがプレゼントしたやつだ。
「これがね。わたしの、一番のたからものだよ。……だって。ゆーいちくんがくれたんだもん」
小さな天使のぬいぐるみは、きらきらと、夕日に光っていた――
……頭痛がする。
目を覚ます。まっ先に見えたのは、部屋の天井だった。頬を何かが伝う感覚がする。俺は、寝ながら泣いていたのか?
夢。夢?
7年前、この街に住んでいた時、俺はあゆに会っていた。商店街で会って。泣いているあゆに、屋台のたいやきを買ってやって。
だから、あいつはたいやきが好きだったのか?
7年前。あいつに買ってやった、天使の、小さなぬいぐるみ。宝物だといってくれたそれを、二人で地面に埋めて。
あいつはそれを、探していたのか?
ベッドに横たわり、天井を見つめる。閉ざされていた。閉ざしていた、7年前の記憶がよみがえってくる。
『……探しものは、もう見つかったから……
――この街にくる理由が、無くなっちゃったから――』
今日聞いた、あゆの言葉が、頭の中を掛けめぐる。一つの言葉が、浮かんできた時、俺は跳ね起きた。
椅子に掛けてあったコートを引っ付かんで、部屋から飛び出す。
眠そうな顔をした名雪が階段をあがってきたところだった。
「うにゅ……祐一、どこかいくの?」
「ああ」
短く答えて、階段を掛け降りる。
「寒いから、気をつけてね……」
後ろから聞こえる名雪の声に片手をあげて答えて、夜の街に飛び出した。
雪が降っていた。全てを多い隠すように、真っ白な雪が降り続いていた。
小さな足跡もついていない雪道のうえを、商店街に向かって走る。手袋をしていない指の先は、もう感覚をなくしていた。
商店街に入ると、俺は迷わずに横道に入る。蘇ってきた記憶にしたがって、目的の場所を目指して走りつづける。子供だけが通るような、細い、小さな道を抜けて――たどり着いた先は小さな森だった。
「学校……」
7年前。俺とあゆが遊んでいた、秘密の場所。楽しい思い出の場所。そして、何よりも悲しい思い出の場所。
俺は自然と、大きな木の切り株の前に立っていた。
赤い空。赤く染まった森の木々。弱々しいあゆの笑顔。赤く染まった、雪。
かた膝をついて、切り株の上に積もった雪を、丁寧に退けていく。そこにあったのは、ぼろぼろの、天使の、小さなぬいぐるみ。
「ゆーいちくん……」
ちいさなあゆの声が聞こえた気がした。それが幻聴であろうと、俺は答えたかった。
「……あゆ……」
天使のぬいぐるみを両手でそっと抱える。
「ボクね。うれしかったんだよ。ゆーいちくんにまた会えて。だからそんなに、悲しまないで」
「それは……無理だ」
聞こえてくる声に、後ろを降り向かずに答えた。
「俺は何も気がつかないで――忘れていて――忘れたくて。大馬鹿だ」
「自分を責めちゃ、だめだよ。ゆーいちくん、約束だよ。
……ぼくはもう行くけど……ゆーいちくんが、幸せになるように、祈ってる……
じゃぁね……ばいばい……」
「あゆっ」
天使のぬいぐるみを両手で抱えたまま、振り向く。一瞬だけ見えたあゆの背中の羽は、プラスチックの作りものなんかじゃなくて。本物の、天使の羽に見えた。
もう見える事はないだろうあゆの姿を探しながら。俺は号泣した。
夜の闇の中を、俺とあゆが出会った場所をさまよい続けて、家に帰りついた時には、もう日が変わっていた。
玄関のドアをやっとの事で押し開けて、玄関の床に座り込む。
「……」
名雪が、心配そうな顔で俺を見ていた。
「よぉ。まだ起きてたのか?」
重い右手をあげて、名雪に挨拶する。傍目から見ていると、さぞや滑稽な姿に違いない。
「……冷えきってるよ……」
きゅっと、名雪の手が俺の手に触れた。
「暖かいな」
「……そりゃぁ、ね……」
さみしそうな顔をして、俺の手を引っ張った。意外なほど強い力で引かれて、名雪に抱きつく形になる。
「っとと……
祐一、重いよ……」
「だろうな」
名雪の肩を借りてようやくのことで立ちあがると、丁度居間のほうから秋子さんが出てきたところだった。
何も言わないさびしげな瞳が、俺を見つめている。
「秋子さん……」
「はい?」
「俺、明日行ってくるから、場所を知ってたら教えてくれませんか?」
秋子さんはちょっと考えたそぶりをして、
「そうね。
祐一さんがそう思うのなら。
……でもね、今日のところはゆっくり休みなさい」
「わかった……」
ここで問いつめても折れない事は、秋子さんの性格を考えれば明らかだ。いいかげん体も冷えきっていたし、確かにそうするべきだった。
「祐一。お風呂に入ったほうがいいよ。沸かしてあるし。こんなに冷えきってるんだもん」
「……ちょっと無理だな。
自分で歩けないのに、一人で風呂に入れるか。名雪が入れてくれるっていうんなら、別だが」
「うぅ……」
うめいて、上目使いでおれをみる。ゆっくり休むのよ。そう言って、秋子さんは先に二階にあがっていった。
名雪に肩を借りて、ゆっくりと二階への階段をのぼる。体が触れたところから感じられる名雪の体温が、とても暖かく感じられた。
部屋の前までたどり着いたところで、口を開く。
「ごめんな。名雪」
「……いいよ。これくらい」
「七年前のことだ。
……ずっと待たせてしまって……」
「……」
名雪のすきとおった瞳が、すぐ側に見えた。
「俺はあの時、何もできなかった自分が嫌いで、絶望して。冬が、赤い夕日が、雪が、この街が……何もかもが嫌いになって。それで……」
「いいよ、祐一」
名雪が俺の言葉を遮った。俺に肩をかしている名雪は、俺のすぐ側で、耳元で呟くように言う。
「祐一は、帰ってきてくれたから。思い出してくれたから。
それでいいよ……」
あまっている手のひらを、ぽんと名雪の頭に乗せた。くしゃくしゃと頭をなでる。
「くすぐったいよ」
「俺、明日……」
手を止めて、名雪の頭に乗せたまま。
「明日、あゆの葬式に行ってくるよ。あいつの好物だった、たいやきを持って」
「うん……」
「そうだね……」
名雪の肩を借りたまま、部屋に入った。
――まぶしい日差しが、目を刺す。気がつくともう、朝になっていた。
「うにゅ……」
体を起こすと、隣に寝ていた名雪が寝返りをした。
こぼれた布団を名雪に掛けてやって、ベッドから体を起こす。
「ふにゅ……」
ゆっくりと、部屋の箸にある棚の前に行く。小さな天使のぬいぐるみが、そこに座っていた。
大切な、思い出。それはすべてそこに閉じこめられている。ぬいぐるみを一回撫でる。7年前と、そして、つい昨日までの思い出が、頭のなかを駆けめぐる。
俺に、できる償いといったら何だろう…… そんなことを考えながら、俺は部屋のドアを開けた。
-Fin-
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