「あれ?」
卒業式も近い日、僕はクラブの担当に言いつけられた資料を渡して、部室に戻った。つい5分前までは誰もいなかった部室に、一つの影が夕日のスクリーンにのびるように立っている。夕日に染まった赤い髪。赤い陽に照らされた綺麗な横顔。
から、とドアを開けて赤い陽のなかに入りこむ。
「どうしたんですか? 先輩。ここに来るなんて、結構久しぶりじゃ」
声をかけると、先輩の体がくるっと振り向いた。ふわっと広がって髪が舞う。
「なんだ、君かぁ。
うん。ちょっと来てみたら、鍵が空いてたから」
振り向いた時のびっくりしたような表情を消して、あははと笑う。
「お久しぶりですね、本当に。
この部、3年になったらそこで引退だなんて、妙な規則がありますからね」
「そうだねー。受験勉強、あるしね。4代くらいまえの部長が、自分が受験勉強したいからって、考えたらしいけど」
そう、そういえば入部した頃、先輩がそんなこと言ってたな。もう2年ちかく前か。
「それにしても、どうしたんです? わざわざこんな所に足を運ぶなんて」
この部室は、3年の教室からはだいぶ離れている。それに、階は上だからわざわざ階段を上ってこなくちゃいけない。
「うん――
特に用があったわけでもないんだけどね。ふらふらと校舎の中を散歩してたんだ。
ああ、もう1週間たつと、ここはわたしとは関係の無い場所になっちゃうんだなーって。
そしたらここの前を通りかかった時、たまたま鍵が空いてたから」
「そっか。先輩ももう卒業なんですね」
「そうだよー。
ちゃんと、大学受かったんだから」
には、と笑って胸をそらす。そう言えば、第一志望に受かったような話を聞いたなぁ。
「よかったですよね」言いながら、先輩の正面になるいすを引き、腰をかける。「僕も来年は受験だしなぁ」
「そう言えばそうだね。始めてみた時の君はなんかこう、おどおどしてた感じだったのに、立派な男の子になっちゃったねぇ」
「……そうですか?」
んー。と考えて見る。
先輩と始めて会ったのは、入学した後の部活動オリエンテーションの時。この部の勧誘係をしてた先輩は、無駄に元気に、飛び跳ねながら僕ら新入生を引っかけてたっけ。
「あれはまさしく、強引に引っかけてるって感じだったなあ」
思い出して苦笑する。目は自然と、空の夕日にやっていた。
「ん? なんか言った?」
「いえいえ。何も」
さーっと風が吹き、時間が過ぎる。
「この教室ってさぁ……」
先輩の呟くような声が、冷たい冬の風にながれた。
「夕日、綺麗だよね」
「ですねぇ」
空を眺めつづけたまま、僕もそう呟いた。声が聞こえてくる位置からして、先輩も椅子に座ってるみたいだ。
「わたしが始めてこの部屋に入った時ね、それはそれは綺麗な夕日だったんだ。
こー、濃い赤がだんだん向こうの森に消えていって――
空気が蒼くなって――
その透明さが、なんとも言えなく綺麗でさぁ――
何か、この綺麗な夕日が見られるんなら、この部活に入ってもいいかなぁって」
「そうですねぇ」
陽はすでに隠れ、夜の帳が落ちるまえの透明な蒼が空と空気に色をつけていた。
「だけどさ。良く考えたら、他の教室でも大体同じような風景は見られるんだよね」
あは。と笑う。なんか先輩ってかわいいな。そう思ったのは、多分この時が始めてだと思う。
「でも不思議なんだよ。こんな風な気持ちになれるのは、ここだけなの。
不思議だよねぇ……」
そういう先輩の表情を、じっと見詰めていた。ん? っと言って、先輩と僕の目が合う。
「あ。あははは……」
立ち上がって、先輩はぱたぱたと手を振る。
「なんか、柄にも無い雰囲気だね。ごめんごめん。
用事、あるんだよね?
わたし、他にも散歩するから。じゃぁねっ」
ちょっと早口になって、先輩は教室から出ようとする。
……照れ隠し?
「先輩っ」
先輩の姿がドアの向こうに消えてしまう前に、ちょっと大き目の声をかける。
「この景色、もう一年は僕が預かっておきますから」
預かっておくから? どうするって言うんだ? 何か声をかけなくちゃいけないと思っても、うまい言葉が出てくるわけではなかった。
でもなんとなく先輩はわかってくれたみたいで、
「ありがと」
ぼそっと言うと、とてとてと教室に戻ってきて、僕の頭に手を置いた。
「……こどもあつかい」
「ん?」
頭上にはてなマークが浮かんでいそうな表情で、先輩は首をかしげる。
「……子供扱いしてますね?」
「んー、ほら、最初に君に会った時の印象が、そのままあるからなぁ……
こんなに立派な男の子になってるのにね」
ぺし、ぺし、と僕の頭の上の手を上下させる。
「ひどいです」
頭をぺしぺし叩いている手を取って、少し力を込めて引っ張る。
「え?」
先輩の体がぐらっと揺れて、僕にむかって倒れてきた。とてん。先輩のあたまが、僕の胸につく。
「え?」
僕の視線より低くなった先輩のあたまに手を置いて、ぺしぺしと軽く叩いた。
「仕返しです。子供扱い、されたから」
先輩は何も言わずに、僕を見ている。
「別に、ここが先輩と関係の無い場所になるわけじゃありませんよ。いつだってまた、夕日を見にきたっていいんです。
あと一年は僕だっているんですから」
「――そうね。
なにも、ここがここじゃなくなるわけじゃ、ないものね」
先輩が立ち上がる。さらっとした髪が、僕の頬を触れていった。
「ありがと」
先輩の唇が僕の額に触れて、離れた。
「なんか、寂しかったみたい。3年間この学校にいて、ここを離れなくちゃいけないってことが。不思議だね。わたしのことを知ってる人がまだこの学校に残ってるんだ、って思ったら、あんまり淋しくなくなった」
うんっ とちっちゃなガッツポーズを作って、
「じゃ、またねっ」
そういうとぱたぱたと走って、教室を出ていった。
明かりをつけていなかった、暗くなった教室に僕一人残される。
……まいったなぁ……
ぽて、と机に突っ伏す。あんなかわいいの見せられたら、追っかけないわけにはいかないじゃないか……
先輩が受かったのって、どこの大学だったっけ? 志望校変えるかなぁ、そんな事を考えていた。